The Ascent of Babel

私の著書「The Ascent of Babel」について簡潔に述べましょう。この本は、人間の心について、それが言語と関係してどのように働くかを述べています。すなわち、いったいどうして心は言語を扱えるのだろうかについて考えたものです。

このように心に重点を置いているので、「The Ascent of Babel」は言語学の著作とは言えないのです。大まかに言うと、言語学と心理言語学との違いは、言語学では言語を作り出し、あるいは理解する内面の働きとは独立したものとしての言語自体を対象とします。言語学者は文法、統語法といった、小さい単位(例えば、英語のsmallerという語は、smallと -erとからなっています)からより大きな単位へと組み立てていく方法に興味を持っています。また、ある言語では用いられるけれど、別の言語では用いられない音とか、言語と言語との間で文法がどのように異なっているかというのも、言語学の対象です。それに対して、心理言語学者は、言葉が意味に、意味が言葉に変換される内面的過程により興味を持ちます。

  「The Ascent of Babel」という題を選んだのには、いくつかの理由があります。バベルの塔の物語はよく知られていて、言語の多様さを象徴するようになっています。しかし、「The Ascent of Babel」には、他にも象徴的な意味があります。これは、そもそもバベルの塔が建築された理由の一つでもあるのですが、知の探究を象徴します。ですから、知的上昇を表します。その一方、上昇はまた、赤ん坊が誕生以後、大人としての言語使用へ向かってたどる成長の道でもあります。実際、誕生前からすでに赤ん坊がどのように言語について学ぶか、子供たちはどのようにして話し言葉や書き言葉を学ぶのかが本書の重要な部分をなしています。「The Tower of Babel」はまた、言語がその基部をなす音声から頂上の意味に至るまで、どのように組み立てられているかをも象徴しています。中間にあるのは語と文です。

  この本を書こうと思ったのは、一冊を除いて、一般読者向けに言葉と心について書いた本がないことが不満だったからです。人間の、話し言葉を用いてお互いに話すことができる能力や、他の人に考えていることが伝えられるように書く、つまり、私たちの心を見られるようにする、というのは、驚嘆すべきことなのです。言語なしで、どうして人から人へと考えが伝えられるでしょう? どうして文化が発達するでしょう?ある意味で、言語というのは、人間を特徴づける能力なのです。

  ステファン・ピンカーの名著「The Language Instinct」は、言語の果たす役割の膨大さに注意を向けた最初の書物であったこともあって、極めて好評を博しました。しかしながら、同書は人間が言語によって何をしているかを説明しているものの、それがどのように行われるか、頭の中で何が起こっているのかは説明していません。

   「The Ascent of Babel」は、赤ん坊から始めて、心理言語学の主要な話題全てを、 取り上げています。

  母親が妊娠中に見ていたテレビ番組ネイバーズの主題歌を新生児が認識することは、よく知られています。でも、本当のところ、赤ん坊はもっとずっと敏感で、母親の言語の調子さえ識別するのです。例えば、英語を話す母親の場合だと、赤ん坊はイギリス英語とオーストラリア英語、英語とヒンズー語との違いを聞き分けます。赤ん坊は、母親の話し言葉のもつ独特の調子を知っています。話し言葉の調子は、指紋のように一人一人異なっていて、赤ん坊は子宮の中にいるうちから母親の言語の調子を覚えるのです。

  赤ん坊の次には、子どもたちがどのようにして単語や単語をつなぐ方法を学んでいくかを調べます。私の息子は二歳から二歳半の間にときおり、おや、と思うようなことを言いました──いったいどこであんな言い方を覚えたんだ? いったい息子はどうして車を「車」といい、バイクを「バイク」、トラックを「トラック」と言いながら、トラクターは「オオダローダオオ」というんだろう? 何かが欲しいとき、どうして指差しながら何度も「うん」って言うんだろう? 分かりきっているじゃないかとお思いになる人もいるでしょう。でも、息子はなぜ、どのようにしてああいうことをすることを覚えたのでしょう? 子供たちが真似をすることで覚えるのではなく、創造によって覚えるということは、驚くべきことです。子供たちは聞いた言葉の全く新しい使い方を創り出すのです。

  子供たちから大人へと話題は移ります。およそ七万語の言葉についての情報はどんな形で記憶されているのか。文法をどのように使い、ときに文法を無視するのはなぜか。

   本書で最も重要な章は、意味について述べたところでしょう。ここでは、意味が一群の神経細胞中にどのように収められているかを具体的に説明します。意味と理解とは、つまるところ、個人が幼児期に言語や言語の用いられている世界についての経験を通して形成した、神経系の反応であることを述べます。この章では、幼時の経験からどのようにして一定の反応が形成されていくのかを述べますが、もっと後の章では、人工神経細胞がコンピュータシュミレーションでどのように言語を習得するかを説明しています。

  脳がどのようにして音声を意味に変換するかわりに意味を音声に変換するか、すなわち、話し言葉が発される過程について述べた章もあります。意外にも、私たちは、使いたい言葉を選んでからどんな順番で並べるかを決めるのではなく、まず順番を決めてから単語を選んでいるのです! これは全く奇妙で矛盾しているように思われますが、こうした脳の働き方は、他の多くのことにも言えることなのです。

  子供たちが読むことを習得する過程と、脳の損傷のため、あるいは子供の発達過程に起こる言語障害とに重点を置いた読みに関する章もあります。例えば、読書障害について、詳しく述べた部分があります。

  最終章は言語がどのようにして進化し、どのように異なり、どのように死んでいくか考察しています。世界のごく少数の言語を除いて、他の約5000の言語は絶滅の危機にあります。それも、皮肉なことに本や、それにもちろん、テレビのために。意思を通わせようという欲求は実に強いもので、そのため、異なった言語といった、コミュニケーションの妨げとなるものはすべて、除かれる危険性があるわけです。

  本書についての説明は以上です。この本の内容、なぜ書かれたのか、それに、心理学や言語学を学んでいる人でなくとも、実に興味深い話題であるということがお分かりになったのであればいいのですが。

c Copyright Gerry Altmann, 1997.

はじめに
「The Ascent」について
概観とその象徴するもの。以後の章の要約。

第一章:バベルを眺めやる
心理言語学の神秘を紹介
  導入。言語学と心理言語学との相違。経験的と論理的な手法について。つまり、人間の言語を理解し発する能力のどこがそんなに興味深いのかという問いに答える。

第二章:赤ん坊、誕生、そして言語
誕生の前から赤ん坊は学んでいる。
子宮内環境と、そこで学ばれること。新生児の話し言葉に含まれる要素と抑揚に対する感受性。この感受性は生来のものだろうか?ある言語特有の子宮内学習研究のいくつかと、新生児が音節についてみせる感受性についての研究を検討する。なぜ、こうした感受性が言語習得の重要な基盤をなすのか。

第3章:チンチラも同じことをする。
異なった音を聞き分けることを習得する
  赤ん坊は個々の音の微妙な違いをも聞き分けることができます。それに対して、大人は、それぞれの言語で有意義な音の違いしか聞き分けられません。ですから、日本人と英国人とは音に対する感受性が異なっているのです。赤ん坊はどうか? 赤ん坊もまた、特定の音の違いだけを聞き分けますが、ありうるあらゆる言語を知っているかのようなのです。これは生来のものなのでしょうか? チンチラも同じ能力を持っていることからして、おそらくそうではないでしょう。新生児も話し言葉の速度を正しく聞き取ることが検討されます。

第四章: 単語とそれをどうすることを学ぶか
単語とその組み合わせ方を学ぶ
  言語の音声を識別することはこれらの音を意味と関連付ける前提で、語について学ぶことです。理解と初後のための語彙に関する統計。言語レベルの異なった語に関する知識の習得。意味の学習と文脈の重要さ。人間の子供はどのようにしてラベル(単語)をさまざまな文脈の中で関連付けるのか? 文法を習得するとはどういうことか。チョムスキーとピンカーの、人間が生まれつきもっている知識についての説。生来の知識とは、具体的には何か? 声調とイントネーション(第二章参照)に基づく理論が提案されている。乳幼児は単に学ぶのではなく、言語を創造する(ピジン、クレオールとの関連、言語習得の限界時期)ことについての検討。この章は、言語習得に割かれた章のうちの最後のものです。


第五章:辞書を組織立てる
音素、シラブルその他の語を検索する方法
  頭の中の辞書はどのような構成をもっているのか? 辞書はどう構成されているか(アルファベット、韻、それとも漢字)? 人間は最初に音を音素の連続として捉え、それから検索するのか? まずシラブルとして捉えるのか? 語彙検索の基準になっているものは何か? 同時調音はどう語の検索に関わっているのか? 書き言葉の違いが別の辞書を必要とするのならば、話し言葉の違いの場合はどうか? フランス語話者は英語話者とは違う種類の辞書を用いるのだろうか? どうしたらそれが分かるだろう?

第六章: 語彙と、人間がいかに(遅かれ早かれ)それを発見するか
記憶の中にある語彙を見つける
  頭の中にある辞書を使えるとして、どのようにして検索が行われるのか? 実際の辞書を使うときには、目的の語以外の語は内容を読まずにとばしていくが、頭の中でも同じようなことが起こっているのだろうか? 近接した語が調べられているらしい証拠について検討。多義語(例:bank)について、文脈中での意味の適否に関わらずすべての意味が調べられていることを説明する。「rampart」という語を検索する際、頭の中では「ram」「ramp」「part」(そして、おそらくは「am」「amp」「pa」そして「art」までも)が調べられているか。なぜそれが分かるか? 目的の語を識別するために必要な仕事の量との関わり。こうしたことすべては、文を理解するうえで、どういう意味をもつのか? 第十三章まで残された問題は、何が単語の語義として実際に記録されているのか? それは頭の中でどういう形をとっているのか?

第七章:光陰矢のごとし
文を理解する I:不明瞭さに対応する
  文の意味は、単語の意味にどのように依存しているか? どのようにして意味を抽出するのか? 文が不明瞭な語を含む場合、何が起こるか? 言語学者の文法はどういう立場にあるのか? 不明瞭さを解決する方法をどうしたら解明できるか、また、心理的に「統語」は、実際どういう位置にあるのだろうか? なぜ「講師は学生に質問を繰り返すにはよく聞かなければいけなかったのだと言った」という文はひどく分かりにくいのだろうか? 眼球の動きの研究その他の文処理の心理的過程を理解するための技術についての検討。抑揚の役割。

第八章:誰が誰に何をしているか
文を理解するII:誰について話しをしているのか、誰に、何をしているのか、を知る
  文を理解するには、誰について話しているのか、何をしているのか、誰に働きかけているのかを知らなければならない。だが、どうしたら登場人物を知ることができるだろう? 「the cat」と「it」とは、どう意味が異なるのか 代名詞は何のためにあるのか? また、どういう意味があるのか?なぜ、代名詞の意味には制約があるのか? なぜ同じ制約があらゆる言語に起こるのか? また、描かれている人物を識別したとして、どの時点でそれぞれの役割を振り当てるのだろうか? 一般に文章がそうするように、疑いの余地なくどの人物にどの役割を振り付けるか、文章が明らかにするまで待つのだろうか? それとも、誰がどの役割を演じているのか分かる前にさっさと役割を当てているのだろうか? また、どのようにして実験的にそれを確かめるのだろうか?

第九章:意味の意味するものについて
「理解」と「意味」に関わる概念
  単語と同様、文にも、種類は違うけれど、意味があります。では、文は厳密には何を意味するのか? 頭の中でどうなっているのか? どのようにして、神経細胞中に意味が記録されているのだろう? 単語の意味は、その後の用いられる文脈の表象に過ぎないという概念を検討する。では、語ではなく文の意味はどうなのか? そして、こうした種類の意味は脳の中でどのような形態をとっているのか? 最後に、予想と意味との関係について検討して、言語習得についての話しは再び始まりに戻る。

第十章:発声器官を調整する
どのようにして語や文を発するのか
  ここまで音声と意味についてみてきたが、では、全く別の面はどうなのか? スプーネリズムとかマラポリズムといった言い間違いは人間が文の形で話すときにどう計画し、どう実行するかについて多くを語ってくれます。なぜそんなにも多くが明らかになるか? また、それらから何が明らかになるか? 言語を発する仕組みについての知識が言語を理解する仕組みについての知識と大きく異なっているのはなぜか? なぜこの二つは単に一つの過程を逆方向にたどったものではないのか? 発話の過程は具体的にはどういうものか、また、そのとき脳では何が起こっているのか?

第十一章:書き言葉
書記法と読み、眼球運動、ソクラテス
  この章では話し言葉と書き言葉との違い、読む能力の陰にある仕組みとの関連について検討する。アルファベットは基本的には表音記号だからといって、綴りから実際聞いている通りの音を思い浮かべられるだろうか? 不規則な綴りはどうして起こるのだろう? 人間はどのようにして読むことを習得するのだろう? 言語はみな同じだろうか? 言語はみな同じように習得できるものだろうか? 普通に読んでいるとき、眼は何をしているのか? 話し言葉の特性が書き言葉を読む際に影響するだろうか。 書き言葉の特性が言葉を聞く際に影響を与えるだろうか? 識字と話し言葉を理解する際の影響。 そして、最後に書くことについてソクラテスの見解はどうであったか。

第十二章:機能が狂うと
言語の障害
  ある種の言い間違いは普通ですが、それ以外のものは、正常な言語処理過程の故障によって起こる。理解の誤りと発話の際の故障。失語症の種類。発達障害と後天的な失読症と、失読症患者にとってとりわけ困難を来す例えばイタリア語と比較した場合の英語のような言語の特質。そして、最後に他の言語障害。

第十三章:脳を組み立てる
人工頭脳と言語習得
  脳のようなものが、どうして言語を学ぶことができるのだろう。神経細胞組織がそのようにして記号を記録し操作するか初歩的な導入。学習はどう進むか。次に何が起こるかを予想する機能だけををもつ単純な(生来備わったプログラム)組織がどのように言語について学び、シラブルやレベルの異なる語彙、その他についての感受性を発達させるか。この章では、先行する章で紹介した多くの概念についてまとめ、同じ部品の集合である人間の頭脳のようなものが、どのようにして言語に関わりのある物事を習得できるかを説明する。

第十四章:バベルの塔を下る
すべての言語が平等に作られているわけではない。
  言語間の相違についての(選択的な)事実のリスト。言語はどのようにして発達したのだろうか。そして、どこへ向かっているのか。心理言語学についての結び。

参考文献

  各章で、(1)一般読者用参考図書、(2)その章で触れた重要な研究の学問的文献、(3)関連した項目について述べている学問的文献を挙げています。

目次

  各章の内容についてもっと詳しく知りたいという心理言語学者のためのもっと技術的な分析は、ここにあります。

  同書に間違いを見つけたら、どうか連絡してください。これまでに二つ見つけています。

  「The Ascent of Babel」はすでに出版されています。ヨーロッパとイギリスから注文するには、Oxford University Press に問い合わせるか、宣伝文句を見てください。米国での注文・問い合わせはOUP USAへ。ウェブ・ページで直接注文できます。書評はここにあります。

同書は他にも、アマゾンブラックウエルブック・プレースなど、いくつかの場所でオンラインで買うことができます。

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